インターネット講座 -(3)-
桃太郎と「イヌ、サル、キジ」の研究



知恵・仁義・勇気備えた従者  〜鬼退治になぜ「イヌ・サル・キジ」〜


 陰陽説によれば、鬼の棲(す)むところを「鬼門」といい、十二支の 「丑寅(うしとら)」の方向にあると言う。鬼が牛の角をはやしトラのパン ツをはいているのもそのためだ。
 「鬼門」は鬼の出入りする門であり、そこには険悪の気が集まるとの ことから忌み嫌われている。
 桃太郎物語では、鬼門という「陰」(うしとら)に対するため、その反 対の「陽」にあたる動物「イヌ・サル・キジ」を引きつれていくこととな る。「丑寅」の反対は、正確には「未甲(ひつじ・さる)」であるが、鬼門 に対し直接対決せず、1つずらした「サル・トリ・イヌ」になったと言われ ている。(方位と十二支の図参照)
 桃太郎が「イヌ・サル・キジ」をお供につれて行ったのにはわけがあ る。イヌは仁義を知る動物であり、サルには知恵がある。またキジに は勇気があることから、「知仁勇」の三徳を備えた従者が鬼(社会の 悪)退治に役立つからである。
知、仁、勇と言うと、難しく聞こえるので、ここは現代風に解説しよう。 知といえば、一流大学を出た学生のことを連想するかもしれない。し かし、桃太郎の言う知恵は、偏差値の知恵ではなく、生活に役立つ知 恵なのだ。
 分かりやすく言うと「おばあちゃんの知恵」である。いわゆる「人間が 生き残るための生活の知恵」なのだ。それは、知識偏重の現代人に 欠けた「サバイバル能力」を言う。桃太郎のサルは、知識優先社会の 危険性を説く。イヌの「仁徳」は道徳教育に都合のいい「イエスマン」 のことを言うのではない。イヌのように従順と言うが、権威に盲従する 「主体性のないモラトリアム人間」でもない。桃太郎のイヌとは「鬼退 治」という、社会の浄化へ向かって倫理観に燃え行動した人たちなの だ。昨今の大企業幹部による不祥事は、倫理観を忘れた「駄犬」、い わゆる金太郎あめ型サラリーマンによるものだ。
 キジの「勇気」。これは、日本人に欠けた一番の問題である。モノの 豊かさに固執し人間の心を失った日本人に対し、勇気を持ってシステ ムを変えるよう、桃太郎が「キジ」をたとえに説いていることを忘れて はいけない。


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