インターネット講座 -(8)-
桃太郎とこれからのサラリーマン像


 講座もいよいよ佳境に入りました。
 今回は桃太郎型サラリーマンへの 脱 皮の必要性について講師の 考えを述べて見たいと思います。

◆サラリーマン冬の時代

 大不況、リストラにまけるな!
 桃太郎型サラリーマンの出番だ!


 もはや時代遅れの金太郎飴型はダメ、桃太郎的発想のアクティブ な異能がもてる。

◆サラリーマンの受難

   いまや企業社会は長引く不況のなか、どれをとっても容易なら ざる難問に直面し、生き残りを賭けたさまざまな試みに真剣に 取り組みはじめている。人員削減や部門閉鎖などリストラ、ある いは企業の経営体質を抜本的に改革し、新たな競争力を強化する など急ピッチの改革である。当然ここに働くサラリーマンも同様 にその存在価値を問われている。
 経済環境の変化は企業に経営形態の見直しを迫ったと同様に、サ ラリーマンにも仕事や生活の見直しを鋭く突きつけている。

 そこで私はこう結論付けた。すなわち桃太郎的サラリーマンこそ 新しい時代に望まれる存在である。

 ササラ型人間こそ新時 代のリーダーに相応しいーと。
 桃太郎とサラリーマン?どこに接点や共通項があるのか、不審に 思う方も多いに違いない。それもそのはず、桃太郎といえばお伽の主 人公であり、それが大いに関連するから面白い。
 ここでは特に40歳以上の中堅サラリーマンについて取り巻く環境 状況を見てみたい。40代といえば人生で最も脂の乗り切った充実 した年代であるだろう。したがって企業であれば、部・課長クラスの 中間管理職。一方家庭においては一家の大黒柱として、受験だ進学 だ、 就職だと、複雑な問題を抱えた子供たちを養い、実に多忙なお 父さんをせねばならない時代だ。
 彼らは高度成長時代の真っ只中に社会人になった。いわば戦後日 本の申し子。企業の発展がイコール社会の発展と結びつく。会社へ の忠誠度がすなわち社会へのそれと比例することを信じて疑わず、 思考パターン、行動パターン、あるいは生活パターンまで、つまり自 分自身の全人格を企業の論理にきっちりはめ込み企業活動の最前 線に立ってきた。
 しかしそんな生活パターンが有効だったのは、高度経済成長時代 までのこと、バブルがはじけ10数年の長期の不況のなか、状況は一 変してしまった。 つまり時代の変化に対応するには、もはや従来の 思考パターンは神通力を持たなくなったのである。

 こうした一連の変化は、成長の時代から成熟の時代へと移行する 今「滅私奉公方」の企業戦士はもはやお役目ご免になったことを意味 する。

 忠誠心だけでは評価しない、新しい発想の担い手が必要と言うわけ だ。

◆イヌは仁徳、サルは智恵

 サラリーマンにとってはきわめて厳しい環境となったが、しかしこれ は考えようである。つまりそういったことは「天の声」と聞けばよい。時 代は私たちサラリーマンに対し「ならばどう生き残るのか」という選択 を迫ったのである。そこで求められるのは桃太郎方サラリーマンとい うのが私の持論である。

 なぜ桃太郎?といぶかう方もいよう。答えから先に述べておこう。

 桃太郎とは人間の幸福、社会の反映を象徴し、人間の理想像を表 現した人物なのである。 桃太郎といえば日本を代表する国民的なお 伽噺であり、そのストーリーはいまさら多くを語る必要もないほど誰で もがよく知っている。

 実は外国にも類話があり、たとえば古代インドの大叙事詩「ラーマ ヤナ」がそうであり、中国の古典「西遊記」がそうである。
 前者は悪魔に妻をさらわれたラーマ王子がサル、クマ、タカを従え て鬼が島へ退治に行くという話。西遊記は鬼征伐ではなく、インドへ 経典をとりに行くという、その目的こそ違え、三蔵法師がサルの孫悟 空、ブタの猪八戒、カッパの沙悟浄を従者に、一つの目的に向かって 行動をともにするという点では桃太郎物語と共通している。

 日本の桃太郎物語にも数々のバリエーションがある。江戸時代に は、桃を食べた老夫婦がたちまち若返り、一夜にして男児をさづかる という回春話と共通している。

 明治期になると国策の一環として桃太郎の話が小学校の教科書に 載る。そこでは鬼を外敵とみなし、それを懲らしめるために「日本一」 の旗を押し立てて敵地に乗り込むといった、戦意昂揚の武勇伝にす り替えられた。このことについては案外知られていないかもしれない。

 私たちが知っている桃太郎物語は、したがって明治期に作られたわ けだが、原型になる話は中世にまでさかのぼる。というのも慶長19年 (1614年)に建立された敦賀気比神宮の内陣には桃から一人の童 子が誕生する場面が彫刻されているからである。  桃太郎の場合、そこに登場する動物やモノにもそれぞれちゃんとし た必然性があることも特徴的だ。

 まずサルは智恵、イヌは仁徳、キジは勇気をそれぞれ象徴してい る。そしてさらにオニは災難や疾病、キビ団子は経済、財産を象徴 し、最後に桃太郎は これらを全体的に統括し人類を幸福と繁栄に導 くリーダーを象徴している。
 それを私はササラ型人間と称している。 ササラとは、茶道で用いる 茶せんのようなものである。細かくさいた竹は一見したところバラバラ に見えるが、元のところでは一つに結束している。
 これを桃太郎に置き換えれば、異能を有するサル、イヌ、キジたち も個としてはバラバラだが 、桃太郎という統括者がいることによって、 その異能も存分に発揮できる のである。
 さらに桃太郎物語には、人類の幸福を構成するとされる「智・仁・勇・ 健・富」この五大要素が含まれていることに気がつく。

 来るべき新時代に向け、期待されるサラリーマンとはずばり桃太郎 的キャラクターの持ち主であり、今こそモモタロさんお出番だと私は 思っている。

◆さらば金太郎アメ型

 目下企業もサラリーマンも生き残りを賭けて激烈なデッドヒートをく りひろげ明日はどうなるのか実に混沌としている。こうした難局を乗り 切るには、もはや同じ発想、同じ行動パターンにとらわれた金太郎ア メ型サラリーマンでは無理である。

◆待たれるアクティブな異能集団

 もはや金太郎アメ型集団の時代ではなくなった。ならばいかなる人 間が必要か。
 桃太郎的発想を持ったアクティブな 異能軍団である。金太郎アメ型 社会は「個」を否定するから、終身雇用、年功序列賃金、退職金制度 など保護制度のなかでぬくぬくと育てられたタコツボ社会である。当 然真の競争はない。これからのサラリーマンはそうはいかない。社会 も企業もササラ型を目指そうとしているからだ。
 つまり個人の能力や創造性といったその人自身が持っているパー ソナリティを尊重し、能力や経験や独創性をぶつけあうことで生産性 の向上を図り、よりグレードのたかい企業を構築するというものであ る。

 このような時代をリードするには、異能グループこそ不可欠である。 そのイニシアチブを握るためには強いリーダーが必要である。となれ ばいよいよもって桃太郎的異能者軍団の出番である。


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